300年以上の歴史を持つ、越中富山の薬売りは有名です。
遡ること332年前の1690年(元禄3年)富山二代目藩主 前田正甫公が参勤交代で江戸城に登城したおり、三春藩主(福島)秋田河内守が腹痛を起こし、そこに居合わせた正甫公が印籠から『反魂旦』(はんごんたん)を取りだし飲ませたところ、たちまち平癒したとのこと。
この光景を目のあたりにした諸国の藩主たちは、その薬効の驚き、各自の領内で『反魂旦』を売り広めてくれるように、正甫公に頼ました。
ちなみに、正甫公が持っていた『反魂旦』は備前の医師・万代常閑の伝授正甫公は領地から出て全国どこでも商売ができる『他領地商売勝手』を発布、同時に富山城下の薬種商にくすりを調整させ、八重崎屋源六に依頼して諸国を行商させました。
富山のおきぐすりの始まりです。
『用を先に利を後に』これは正甫公の精神で、各諸国の大庄屋を巡って、おくすりを配置、そして毎年周期的に巡回して未使用の残品を引き取り、新品と置き換え服用した薬に対してのみ謝礼金を受け取っていました。
江戸の時代に、そんなシステムがあるなんて!おどろきです!!
『先用後利』(使った分のみのお支払い)病が治るというご利益に対して感謝の気持ちとして代金を支払う。この商法は顧客との間に『互いに利を分かち合う真心と感謝の結びつき』をより強固なものにしました。
配置薬のお客様は、一代ではなく、親から子へ・子から孫へ・代々語り継がれています。
それは『商いの信用』『くすりの信用』『人の信用』と言われる『信用三本柱』
332年前から現代の置き薬(配置薬)に受け継がれている、富山二代目藩主 前田正甫公の 精神です。